歴史:工業都市八潮

八潮は、大企業から中小零細企業まで、さまざまな工場が立地する街です。これら工場は、高度成長期に八潮村が打ち出した工場誘致条例によって集積しました。現在開発が進む八潮駅南口では、産業と住宅の共存、職住近接を目指して工房地区が設定されています。八潮がどのように発展しても、工業都市の性格に変わりはないことを印象付けています。


八潮と工場誘致条例


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<八潮駅南口に近い工房街区>


1960年の工場誘致条例制定は、八潮の転換点になりました。この条例により、八潮に多くの工場が進出しはじめ、平凡な農村は工業都市へ変貌したのです。進出工場の種類は、大手製紙工場から東京下町の金属加工工場までさまざま。1964年に開設したレンゴー八潮工場は、現在でも日本最大の板紙工場です。1968年には埼玉県によって草加・八潮工業団地が設置され、県有数の工業地帯として成長しています。


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<中小の工場が連なる八潮市二丁目地区。>


現在の八潮は、5000近い工場を有する工業都市です。埼玉県内では川口市、さいたま市に次ぐ工場数で、人口や面積を考慮すれば驚くべき数字です。市街化区域の約40パーセントが工業系の用途地域に指定され、街を歩けば工場にあたるといった具合です。昼夜間人口比率をみると、八潮はほぼ100パーセント。八潮近隣の街は80パーセント前後です。八潮から他都市へ通勤する人も結構いますが、それとほぼ同数の人が八潮に通勤して来ることを意味します。八潮が普通のベッドタウンでないことは、もうお分かり頂けるでしょう。


つくばエクスプレス開通に何を望んだのか


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<潮止橋から望む八潮南部。>


八潮に第二の転機をもたらした、つくばエクスプレスの開業。市民は、商業施設の充実や交通環境の改善に大きな喜びを感じています。工場の事業者や商工会は、秋葉原やつくばが持つ先端技術との連携に期待しています。駅周辺の宅地開発は、これらに付随する現象のようなものでした。


八潮の成長を支え続けた工場は、新住民の流入により邪険に扱われるようになりました。住環境のトラブルが頻発したのです。八潮に根付いた者からすれば、良好な住環境を求めること自体が筋違い。生産活動に影響を及ぼす迷惑な存在に感じられました。
住環境トラブルの後、市では高度地区(決定内容pdfファイル)を導入し、建物の高さを制限するようになりました。住宅用建築物には、より厳しい制限が課され、駅前等を除き高層マンションの建設ができなくなりました。表向きは景観保護と銘打っていますが、既存工場の操業を守る政策であることは間違いありません。この決定がどのような影響をもたらすのか。街の将来像は、まだ見えません。


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